| 代表者・岡本 健のプロフィール  1970年4月20日生まれ A型 179cm 65kg 趣味はサーフィン 日本ライフセービング協会認定ライフセーバー アメリカを放浪し、帰国後、関西の進学塾に入社。 15年間、塾講師をしてきました。 生徒を合格に導くという達成感を感じられる仕事に病みつきで、無我夢中で過ぎた15年間だったと思います。 塾では最難関校受験のクラスの算数・数学・理科を受け持っていました。 賢い子ども達の勉強への姿勢は目を瞠るものがあります。 子ども達のやる気は相当のものです。 その後、教え子が順調に勉強して東大や京大といった一流大学に入学し、大学生になってからも 「岡本先生、元気~?」と会いにきてくれる嬉しさはかけがえのないものでした。 自分の教え子が立派な大人に成長していき 尚且つ自分に感謝してくれるという喜びに溢れている仕事だと思います。 しかしながら受験が近づいて来ると、当然子供達だけじゃなく僕自身の緊張もピークに達します。 毎年迎える精神的な山場によるストレスや、是が非でも合格させてあげようと思い抱えるストレス。 そして日々の不規則な生活がたたったのでしょう。 2004年、原因不明のひどい腰痛を患いました。 どうにも耐えられない痛みなので診てもらいに病院へ行きました。 そしてそのときレントゲンを診ながら整形外科の先生に言われた一言が脳に突き刺さります。 「ひどいねぇ。戦争があっても召集免除になるよ、この腰は」 確かにひどい痛みで、寝返りも打てないほどでしたが 「まさかそこまでひどいとは!」というのが正直な感想でした。 ひどい脊椎分離症とのことでした。 そしてこの瞬間から 『一生この腰痛と付き合っていかなければいけないのかもしれない』 という不安を抱えることになります。 それからは、他の整形外科、接骨院、整体院などを転々としました。 自分でも身体の仕組や解剖についての本を買い、身体について勉強を始めます。 治療を受けても受けても、全く改善しない自分の腰。 そして独学で勉強するにつれて 「もし自分が整体師になったら、自分の腰を治すことができるのだろうか」と 自分の腰に対して挑戦したくなり始めました。 とは言うものの、仕事と家庭を持つ身。 そう簡単に 整体師の学校へ通う という選択ができるわけでもないと悩んでいました。 恐る恐る、嫁さんに相談。 すると嫁さんからは「仕事と両立してでもやりたいなら挑戦してみたら?」とあっさり許可(?)が出ました。 そこからは、トントン拍子で話が進み始めます。 職場に休みを増やしてもらえるよう申請し、1週間の半分を仕事、半分を学校にすることにしました。 そして大阪の福島にある大阪ボディケア学院へ入学。 給料はガクンと減るし、学費もかかるし、生活スレスレの二束のわらじ生活です。 ゴロゴロできる休日なんかありません。 仕事の日も、家に帰ると夜中に嫁さん相手に施術の練習です。 そのうち嫁さんの体調に驚く変化がでました。 嫁さんは10年来の子宮内膜症を患っていて 重い重い生理痛に毎月苦しんでいたのですが、急に消えたのです。 ひどいときは1日に3日分の市販の痛み止めを飲み それでも痛みがおさまらず、うめき声をあげながらベッドから動くこともできなかった嫁さんが 突然、薬を全く飲まなくてもいい状態になりました。 最初はこの急激な症状の変化について、僕の施術の練習の結果だと考えていたわけではなく 僕自身も、子宮内膜症を治すことを念頭に施術の練習をしていたわけでもないので 「なんで生理痛がなくなったんやろ?」と奇妙な身体の変化の原因を考えていました。 しかしながら嫁さんの日々の生活で変わったことは 毎日、施術の練習台になっているということ以外、何もなかったのです。 治ると想像すらしていなかったことが、何かのキッカケで急に治る。 そういう身体の不思議さを初めて実感として得たのでした。 在学中は整体の知識や手技を学ぶ一方で 心を健康に保つことや、食生活、生活習慣を変えることにも興味を持ち始めました。 「心身ともに健康への努力をする」という現在のスタンスが出来上がったのもこの頃です。 骨や筋肉など身体内部のことも大切ですが 外的環境から受けるストレスに対峙することも同様に大切だと思い始めたのです。 2007年、兵庫県芦屋市松浜町にて芦屋整体STUDIOをオープン。 僕はサーフィンが趣味なので、整体の学校に通うまでは全ての休日をサーフィンに費やしていて そういうわけで四万十市(当時は中村市)へ、多いときで年間50日ぐらい訪れていました。 「中村に住みたいなぁ」と憧れてはいましたが 親や友人も神戸にいて、職場も神戸という状態を思うと、なかなか移住の決断ができませんでした。 しかしながら、好きな環境で生活で生活するということの重要性を考えたり このまま生きていった場合の将来の自分の姿を想像したりしていると やはり移住をするしかないという結論に至りました。 「心身ともに健康への努力をする」ということを自分自身で考えたとき 自分の好きな環境で生活するということは必要不可欠だと思ったのです。 塾講師半分・整体師半分の生活をしながら、移住への準備を始めました。 神戸にいるときに診ていたお客様には移住という決断は申し訳ないのですが 僕の健康への取り組みを理解していただいています。 (ご好意で診療場所としてご自宅の一室を貸してくださる方がいらっしゃるので 今でも神戸に帰省したときには、そのお部屋をお借りし、既知のお客様とそのご紹介者様のみを診させてもらっています) そしてついに6年目の結婚記念日である2008年6月6日 大好きな四万十市へ念願の移住を果たしました。 同年11月にはバリ島のウギスの元へ、バリ式整体の修行に行き ウギス式整体の日本人初となる認定を嫁さんと一緒に受け、帰国。 そして2009年4月に四万十市にて健康研究所の本店を芦屋から移転し 「四万十整体STUDIO」をオープンする運びとなりました。 僕の腰痛はかなり改善してきて、日常生活に支障はないようになっています。 でも「完全に異常なし」という境地になるよう、現在も戦い中です。 つたない文章に最後までお付き合いいただきありがとうございました。 
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