「病は気から」とよくいわれます。 確かに、心が元気ではないときに追い討ちのように病気になったり、 病気が原因で心が滅入ったりした経験は誰しもあると思います。 しかしながら「心と身体は何か関係があるのかも」と考えつつも 我々はあまり深く考えずに生活を営み、たまに病気になります。 そして身体に痛みが発生すれば、痛みをとってもらいに病院へ行きます。 身体の痛みは身体を治さなければならないと考えてしまうのです。 ですが、もし本当に心と身体に因果関係があるのならば 「病気になる前から、病気の予防としてなるべく心の健康を保っておこう」と努力するでしょう。 では一体、心と身体にはどういった繋がりがあるのでしょうか。 まずは心からの身体との因果関係、身体が感じる痛みというものを心の哲学の見地から考えてみます。 我々人間は、身体に痛みを感じると、それは身体だけの問題だと、心の状態とは一見無関係のように考えがちです。 しかし痛みを「感じる」には主体(自分の心)に意識がなければなりません。 意識がないのに痛みを感じるというのはありえないからです。 プロマラソンランナーを例に挙げます。 例えば、マラソン大会中、足に肉離れが発生し、通常ならば尋常ではない身体の痛みを感じる場面があるとします。 しかしながら、その状態のまま完走するマラソンランナーの姿を、我々はしばしば見たことがあるはずです。 それは身体自体は走ることができない状態にあるにもかかわらず 心が痛みを感じない(心は痛みより勝つことを優先している)状態だからだといえます。 これは実際に身体に痛みがある、ないにかかわらず 「身体に痛みがある」と心が認識するかどうかに影響を受けるという、いい例だと思います。 このように身体の痛みの感覚は、一つの心の状態だとして考えることができます。 これは突き詰めて考えると、身体の痛みの状態を心に表象しているにすぎないともいえるということになります。 例えば目の前にある木の知覚が、実際には目の前に木がないとしても生じる(つまり誤った知覚でありうる)のと同様に 痛みの感覚はあるが、実際には痛みがないということ(つまり誤った感覚であるということ)もありえます。 また逆に、目の前の木そのものは存在しているが、それを知覚していないという状況も当然ありうるので 同様に、実際に痛みがあるのに痛みの感覚が生じていないということもありうることになります。 表象主義の論者によれば、もやもやした感情は、身体の一部(たとえば内臓)の状態や 身体全体の状態を表象する心の状態として理解することができるといわれています。 つまり、身体と心とは「⇔」で表せるような、直で繋がっているものだといえるのかもしれません。 では次に、身体からの心への因果関係を整体という見地から考えてみます。 心が健康でなくなると身体に影響が出てくるということがわかっています。 心が健康でない状態とは「恐れ、悲しみ、怒り」などを心に抱えている状態です。 つまり俗に言うストレスです。 心が硬くこり固まってストレス状態から抜け出せずにいると、筋肉も硬くなり、それによって関節も硬くなっていきます。 心がガチガチにストレスを感じているのに、身体はしなやかで柔らかいという状態は想像上でもヘンですよね。 この心のストレス状態を打破するためには、身体から心に呼びかけることが大切になります。 身体をほぐしてやれば、心も自然にリラックスしていくという効果が期待できるからです。 心がストレスを感じているときに、心を治そうと心に直接呼びかけることは難しいことです。 ですから身体から心に呼びかけるのです。 身体をほぐせば心もほぐれる。 心をほぐせば身体もほぐれる。 そう考えると、病気にならないということが少し簡単になったような気がするのは、私だけでしょうか。 身体と心は繋がっているように思えます。 片方を治そうとすれば、もう片方から治せばいいのです。
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