2010年4月13日の対談                                                                   


<出席者 Aloha健×謎のY>


Y: 健さん、こんにちは。 

 

Aloha健:  Aloha!

 

Y: 明後日の15日で開業1年になりますね。 素晴らしいことです。 どのようなお気持ちですか?

 

Aloha健:  早かったなぁ。 あっという間やった気がする。 感謝の気持ちでいっぱいやな! これからも創意工夫をして頑張っていこうという気持ちやね。

 

Y: 本当ですか?

 

Aloha健: え? 何が? 本当って、本当に決まってるやろ! ここで「本当ですか?」と返されるとは予想さえしてなかったからビックリするやん。

  

Y:   よく、「〇周年、ありがとうございます。 皆様のお陰です。 まだまだ至らないところもあろうかとは思いますが何卒宜しくお願いいたします」みたいな謙遜というか謙り文を見ますが、あれは何か胡散臭い気がしませんか。 確かに感謝はあるでしょう。 それは分かります。 「自分のことを信頼してくれた、もしくは、応援してくれた」ということに関しての感謝です。 でも、1周年を迎えることができたということを当然だと思う方がナチュラルじゃないでしょうか。 全部お客様のお陰って、ヘンじゃないですか。

 

Aloha健:  当然? めっちゃ偉そうな発言やなぁ! 当然だとはちょっと思わへんわ。

 

Y:  よぉーく考えてくださいよ。 例えば本についてですが、著者は自分なりの論を「~である」「~だろう」「~はあり得ない」などと断定して展開しているわけです。 その論は自分を削り導いた自分の血肉です。 それなのに「あとがき」になると、急に「拙著をお読みいただきありがとうございます。」などと書いてある本が結構あります。 私はとても違和感を感じるわけです。

 

Aloha健:  へぇ~。 どんな違和感?

 

Y:  人は自らの能力や作品を認める発言をすると、自惚れだと受け止められるから先手を打っておこうとする傾向があると思います。 「拙著」という言い方もその傾向から生まれているんじゃないですか。 内容に自信があっても、自分が書いたから拙いと下手に出ておこうとするのは、保身でしかないような気がします。 先んじて自分を貶めておこうとすることに違和感を感じるわけです。

 

Aloha健:  ほぉ・・・。 先手必勝か。

 

Y: (・・・なんでや!) 逆も然りですが、例えばあとがきで他の作家からの書評で「この作品に対して心からの敬意と賞賛を表したい」と書いてあるケースもよくありますが、何か違和感がありませんか? 同士の真の敬意の表し方は、嫉妬に悶えて「くそー!」と思い、悔しさを書くことじゃないですか。 つまり世の中、建前と本音が余りにもこびり付いていて、よく判断できない慣わしが多すぎるわけです。  

 

Aloha健: 確かに深く考えたらそうなのかもな。 でも日本はそういう文化なんやろうな。 周りと歩調を揃えるというか。

 

Y:  そうですね。 自信があって営んでいることを「自信があります」と言ったら調子に乗っているということになる世の中なわけです。 でも例えば塾に関して健さんは、今まで日本でも有数の激戦区において最難関校受験のクラスを長年指導してきたわけです。 今でも日々どのように指導するのがいいのかを考え悩み、実行していっています。 自信があって当たり前ですし謙遜する必要もないでしょう。 自分の能力を謙遜したら逆に生徒がかわいそうだと考えることもできます。 だから「一周年を迎えることができたのは当然の結果です。 しかし応援してくださった方や信頼してくださった方がいなければ迎えることはできませんでした。 だからその部分において多大な感謝をしています。」 ってことが本当の姿なんじゃないでしょうか。

 

Aloha健:  そうなのか! 俺あんまり深く考えない性格やからなぁ。 まぁ実績や経験に関していえば、今俺の経験になってるくれてるのはその時その子ども達がいたからやしな! だからその教え子らにも感謝せなあかんし、地場の人間じゃないのに信用して今来てくれてる子ども達にも感謝せなあかん。 だからもうよく分からんし、面倒くさいから全員に感謝しておくわー!! 

誰もかもありがとう!!・・・もう時間ないねん! ほな、波が俺を呼んでるし波乗り行ってくるわー マハローさいならー!

ありがとぉ~ ありがとぉ~ ありがとぉ、ありがとぉ、ありがとぉー

 

Y:  おーい・・・! (長々話してきて、結局最後SMAPの歌・・・軽すぎる


戻る